賃貸の部屋には、目に見えないもう一つの部屋がある。それは、壁の内側、床の下、そしてシンクの奥底に広がる、時間の澱みが溜まった空間だ。豊島区でも配管交換すると漏水した水道修理に私がその部屋の存在に気づいたのは、キッチンのシンク下の扉を開けた時だった。もわり、と顔を撫でたのは、単なる空気ではない。それは、過去の住人たちの生活の名残と、建物の老いが吐き出す溜息が混じり合った、濃厚な気配だった。下水とも違う、何かがゆっくりと腐敗していくような、甘く不快な臭い。その臭いは、この部屋が本当は私だけのものではないという、冷たい事実を突きつけてきた。 私はその見えない部屋の入り口を塞ごうと試みた。床に空いた穴をテープで覆い、排水口に薬剤を流し込んだ。豊島区での蛇口水漏れトラブル専門には、自分のテリトリーから、招かれざる過去の記憶を追い出そうとする、必死の抵抗だった。しかし、臭いは、まるで水に溶けたインクのように、私のささやかな防御をすり抜け、空間に広がっていく。それはもはや、物理的な現象ではなかった。私の不安や、この都会での孤独感に呼応するように、その濃度を増していくようだった。この部屋で、私と同じようにこの臭いに顔をしかめた人が、過去に何人いたのだろう。彼らはどうやって、この見えない部屋の住人と折り合いをつけたのだろうか。 排水管の暗闇を覗き込む行為は、自分自身の心の奥底を覗く行為に似ていた。そこには、見て見ぬふりをしてきた、澱んだ感情が溜まっている。この臭いは、私のせいではない。そう思いたかった。しかし、この部屋を選んだのは、この家賃で妥協したのは、他の誰でもない私自身だ。自分の選択の結果と向き合うことから逃げている限り、この臭いからも逃れられないのかもしれない。そんな諦念にも似た感情が、心を支配し始めた頃、私はふと気づいた。私は、一人で戦おうとしすぎていたのだと。 管理会社への一本の電話は、降伏宣言のようでもあり、助けを求める鬨の声のようでもあった。そして、やってきた専門業者の手によって、見えない部屋の扉は、いともあっさりと閉じられた。原因は、経年劣化した、指先ほどの大きさのゴムパッキンだったという。私の孤独な戦いをあざ笑うかのように、あまりにも陳腐で、物理的な原因。しかし、その小さな部品が交換された瞬間、私の部屋の空気は、まるで生まれ変わったかのように澄み渡った。澱んでいた時間が、再び流れ始めたのだ。 今、シンク下の扉を開けても、そこにはもう、あの気配はない。ただ、洗剤のかすかな香りと、静かな暗がりがあるだけだ。あの臭いは、何だったのだろう。それはきっと、この部屋が、建物が、そして私たちが、時間と共に老い、傷ついていくという、逃れられない事実の象徴だったのだろう。そして同時に、私たちは一人では生きていけないこと、見えない誰かの助けを借りて、かろうじて日々の平穏を保っているのだということを、思い出させるためのメッセンジャーだったのかもしれない。賃貸の部屋の片隅で、私は今日も、目に見えない繋がりの中で息をしている。
見えない部屋、澱む時間